SHIKA☆TALK

管理人SHIKAによる読書記録&テレビ・映画の鑑賞記録です。

2004年09月

夢の中の魚

この話の主人公は洪敏成(ホンミンソン)と彼のパートナーとなるパクです。
プラチナ・ビーズなどのサイドストーリー的な位置に、この本はあります。
洪は韓国日報の特派員という表の顔と韓国国家情報部の情報部員という裏の顔を持っています。このあたりは葉山とよく似ているわけですが、葉山はあくまでもアナリストであるのに対して、洪はれっきとした情報部員。彼は与えられた情報から分析を行うのでなく、自分から情報を探している―このあたりが大きくちがうところですね。
この洪という人物はプラチナ・ビーズにもスリー・アゲーツにも登場します。出番は多くはないにしても、葉山との持ちつ持たれつという微妙な関係が伺えるのですが、この夢の中の魚でもそれは同様です-というより、もっとはっきり描かれているといってもいいかな?お互い、その人となりについては思うところがあっても、その仕事ぶりは信頼しているという感じが伝わってきます。
さて、この「夢の中の魚」はオムニバス形式で話がすすめられていきます。
冒頭に金大中韓国大統領の就任のあいさつが書かれ、話の根底には「日韓漁業協定」がある。しかし、この話のメイン・テーマは洪とパクの絆といっていいでしょう。

話は全部で9編。
少年Ⅰ
プロローグ的な内容です。海ばかりを見つめて暮らしている孤独な高校生の少年。
日系三世の在日韓国人である彼の未来がどんなものであるのか?
GAILA
『GAILA-東京壊滅-』この怪獣映画には、とんでもないものが映っていた。怪獣オタクの大学生の悲喜劇を絡ませながら、洪とパクの仕事ぶりが初お目見えします。ちなみに、このとんでもないものが映っていたことを洪に情報提供するのが、葉山です。この二人の会話はすっごくおかしい。
For the girl
鹿嶋の海岸で奇妙な拾い物をした少年。宇宙人のピアスと名づけたその金属片を高校で所属している《宇宙パワー研究会》の展示品として、文化祭に出展した。洪は自分のデスクに山積みされている新聞や雑誌の中にまぎれていた、たった1枚の地方都市の高校生のイベントちらしに興味を引かれ、それを見に出かけた。それは一体何だったのか?
洪の先輩情報部員呉道とその義理の息子比佐志がちらっと出てきますが、それは次への伏線でした。
ナミエ
パクが働いている場所は新宿歌舞伎町のピンサロ。その向かいには同じ経営者のもつファッションヘルスがある。ナミエはそこで働く韓国人。見るからに陰気な女で、絶えず身体に傷を作っている。傷を作っているのは、ナミエのヒモのヒロシ。ある日、ヒロシはナミエの店でトラブルを起こし、ボコボコに殴られていた。それをナミエは文字通り身体を張って止めようとしていたのだが、偶然居合わせた洪は、その姿に何か事情を感じ…。
ここに眠る
ある日、洪がパクから引き合わされたパクの昔の恩人保永。彼もまた在日韓国人だった。彼の父親は第2次世界大戦で中国へ出兵し、そのまま帰ってこなかった。保永の老いた母親は死ぬ前になんとかその形見だけでも手元に戻してほしいということを熱望していた。
洪はこの願いをかなえる傍らで、一人の代議士の卵-名取裕一郎-を知る。
ロメオ
名取裕一郎の婚約者、三宅里沙子は年下の青年-比佐志-に恋をしていた。それが仕組まれたものだとも知らずに。
一方、洪は仕事をこなすにつれて、すべてにおいて無関心なパクの姿に物足りなさも感じ始めていた。さらに進んだ関係になるためには、ある程度手のうちをさらすことが必要になる。洪はパクに対し、選択を求めたのだが…。
腐りかけた林檎の木
ある日、とある町のパン屋さんから韓国日報に「うちの店を取り上げてくれ」という手紙が舞い込む。その手紙に興味を覚えた洪はそのパン屋さんに会いに行く。手紙を出した背景を知り、それを調べていくうちに洪はある事実にたどり着いた。洪をして、本気で腹を立てさせた事実-それは何だったのか。
夢の中
水産庁の官僚がファッションヘルスの女の子に真剣になったら…?パクが洪のために初めて進んで情報を提供した、このささいな出来事は洪にとっては非常に重大な意味を持つものだった。
洪とパクとの出会いの裏話が書かれたこの話の締めくくりは、日韓漁業協定が締結したということだった。この協定は韓国側にとっては、満足いくものではなかった。だが、この漁業問題はこれで終わりというものではない。洪が行っていることは、今以上に将来を見据えてのものであった。
少年Ⅱ
少年が東京へ出るまでの心情が書かれています。「ひょっとしたら、自分を必要とし、待っている誰かがいるということだってある」こう考える少年の気持ちは痛いです。痛いですが、ここまで読み進めていくと、それがかなえられたことを知ることができるでしょう。

洪も国を愛し、国のために自分を生かしている男だということがよくわかります。
タイトルにつけられた魚は、漁業協定のことであると同時に、魚にたとえられた洪であり、パクであり、その他の人々なわけです。将来、自分の国に有益になるように、洪はさまざまな餌をまき多くの魚を泳がしておく。情報部員の戦いというものが、この話の中から読み取ることができます。
そんな孤独な、神経をすり減らすであろう戦いの中で、洪がパートナーとして選んだパク。この二人の姿が特筆です。

1つ1つの話の中に、先の話の伏線があります。プラチナ・ビーズでもスリー・アゲーツでもそうですが、のめりこむように読ませるのは、この構成力によるものなんでしょうね。

スリー・アゲーツ

前作ですっかりこのシリーズにはまり込んだ私は、寝る間を惜しんで(惜しむな!)次作を読みま
した。このシリーズははまる人はとことんはまるだろうと何かに書いてあったのですが、全くその通りでした。この本は第3回大藪春彦賞を受賞しております。

さて、スリー・アゲーツ―今回は前回のように作戦名ではありません。ただ、サブタイトル「三つの瑪瑙」というように、やはりこのアゲーツがこの話の中で非常に重要な意味をもって登場します。
瑪瑙の赤は―家長の流す血の色。赤と黄色と白の3つの瑪瑙。さほど高価でもない、この半貴石は一人の男の生きる意味でした。

では、ここからはあらすじに近い内容にもなるので、文体を変えて…
今回葉山が分析したのは、とある人物の書き残した書類ともいえないようなものだった。その人物―チョン―は北朝鮮の国家保安部の工作員であり、長年スーパーK(北朝鮮製の偽ドル札)工作に関わっていた。チョンをソウルで捕らえようとしたアメリカ・韓国の情報部は壮絶な銃撃戦を行ったあげく、まんまと取り逃がしてしまう。日本に潜伏しているらしいチョンをアメリカ・韓国両方の情報部が追う。ところが、偽札による汚染は確かに深刻な問題だが、アメリカ・韓国双方とも単にスーパーK問題を追っているだけとはとても思えない動きをしている。何かもっと大きな問題が発生しているらしい。そう疑問を感じ始めた葉山は、紙くず同然だと思っていた書類から、チョンの家族を見つける。そして彼女たちとの接触の中から、チョンに対する思いは複雑に変化していって…。
日本各地で見つかる精巧な偽札―明らかにチョンのしわざだが、彼はそれを隠す気配もない。
その背後で進められる恐るべき陰謀。チョンは何をしようとしたのか?

このチョンという工作員の思いが今回の話のメインテーマになっています。北朝鮮と日本に二つの家族を持つチョン。今回の日本での任務が工作員としての最後の任務になるであろうことを自覚したチョンは一体何を決意したのか?
全編に渡って流れる「家族」に対する深い思いが、涙を誘わずにはいられません。
自分の子どもには幸せになってほしい―この思いが狂おしいほど高まるのも、そうできない現状をいやというほど知っているから。
望みさえすれば、そして努力さえすれば、何でも手に入れることができる国に住んでいると、それがどれだけ尊いものであるのかということは考えたことすらないわけです。
プラチナ・ビーズでは北朝鮮の最下層の人々の姿を描いていたのですが、スリー・アゲーツで描かれているのは、上層階級に属するだろう人の姿です。ある程度裕福でありながらも、逆らえない運命が待ち受けているのならば、そこにあるのは幸せではない―。

このシリーズを読んでいて、北朝鮮という国はとんでもないところだ―こういう感想はなぜか抱きません。思うのは、この国のシステムについてのみ。そしてそれ以上に「家族のために」命がけになる人々の姿に圧倒されます。

―瑪瑙の黄色と白色は家長への尊敬と信頼と愛。


今回の葉山は前回以上にアナリストとしての力を発揮しています。しかし、それでも彼の望んだように事態を収拾することはできませんでした。前回同様、失敗だったといえる結果にそれでもただへこたれていることは―チョンが許さなかった。
葉山もたくさんのたんこぶを作りながらも、確実に成長を遂げています。

シリーズ次回作は「パーフェクト・クォーツ」。しかし、残念ながらまだ出ておりません。
ゆえに、次は番外編「夢の中の魚」にチャレンジです。

おまけ:今回はサーシャは全く出ておりません(T_T)

プラチナ・ビーズ

季刊誌「活字倶楽部」という本があるのですが、そもそもこの本を読もうと思ったきっかけは、そこで紹介されていたからです。東アジアを舞台にしたスパイ小説。スパイ小説というと、CIAとかKGBとかすぐ思いつくのですが、東西冷戦が終結し、ソビエト連邦がなくなって、その様相も様変わりしました。もちろん、この小説にはアメリカはしっかり関わっています―というより、主人公の所属がアメリカ国防総省の情報機関なのですけど。ではソ連は?というと、一見全く関わっていません。が、一人の人物の行動様式を決めるに大きな影響があった―これだけは言えます。
さて、この本の魅力は?ということですが、先の活字倶楽部でチェックポイントとして挙げられている3点をまずはご紹介。

1.悩めるアナリスト・葉山登場。
彼が主人公です。このプラチナビーズはシリーズものになっていて、そのシリーズを通してのテーマが彼の成長を描いていくというものなのです。彼の仕事はHUMINT(人的情報収集活動)で、普段は極東ジャーナルという政治情報誌の編集をしています。
HUMINTの仕事はさまざまな情報を収集し、それを分析すること。それを葉山は恩師に「砂漠の中にうずくまって、手探りで砂金の粒を探していくようなもの。どこまでも続く言葉の砂漠に立って、ひとつひとつ、根気よく金の欠片を拾って歩くんだ。そして、それを繋ぎ合わせたとき…何か形あるものが見つかるはずだ」と教えられています。葉山はこの小説の中でアナリストとして、素晴らしい情報を見つけ出すわけですが、その情報を得るに支払った代償は大きかった。しかしそれがあったからこそ、彼には強い決意が生まれたのですが。
葉山は優柔不断な、常に何かに悩んでいるようなそんな青年ですが、それは彼の出自に大いに関係がある。これが続く作品の中でどのように明らかにされていくのか、楽しみです。

2.祖国なき男二人、初対決。
 一人は葉山です。彼は白い肌に透けるような茶色の髪と瞳を持っています。そしてアメリカの組織で働いている―こう見れば、アメリカ人?という感じなのだけど、生まれ育ちは日本で、れっきとした日本人です。しかし、その外見で日本人とは思われず、かといってアメリカに対しても複雑な思いを描いている。ゆえに、彼の一番の悩みは自分の祖国はどこなんだろう?ということであるわけです。明らかに日本人という容貌を持っていながら、アメリカ国籍をもつ同僚の坂下の明快すぎるほどのアメリカ(軍)への忠誠心をうらやましい思いで見ています。(この二人は結構いいコンビなのです)
 もう一人はこの小説の影の主人公?ともいうべき存在、サーシャ。しかし、彼の名は終盤になってからしか出てきません。存在はしょっぱなから出てますけど。彼については葉山のライバル(?)となった男である―という程度にとどめておきます。

3.「プラチナ・ビーズ」って何?
 作戦名ですが、この意味する内容は…。この小説は読んでいて痛かったです。それは自分の物の知らなさというものを痛感させられたから。アジアの現状、特にすぐ隣にある朝鮮半島の抱えているものをどれだけ知っているのか、そう考えた時、ほとんど知らないということに気づきました。韓国については、それでも情報が多いので知ることも多いのですが、北朝鮮についてはほとんど知らない―まぁ、情報量が韓国に比べると格段に少ないということもあるのですが―。もう少し、アジアのことも知らないといけないなぁと思いました。けど、痛かったのはそれだけが原因じゃないです。現在の豊かな生活の中で見失っているもの、知らず知らず捨ててしまっているもの―これらに対する無知。「プラチナ・ビーズ」作戦に対して、サーシャが語った内容を否定するものが何もないという事実には今更ながらちょっとショックでした。

 さらにこの小説の魅力をあげるならば、登場人物の魅力です。葉山に坂下にサーシャのほか、葉山・坂下の上司であるエディ、極東ジャーナル編集長の野口女史、葉山の恩師の田所教授、などなど出てくる人々、みな一癖も二癖もあって…。今のところ、私はサーシャに1票かな?

 さて、長々と書いていますが、とにかくこの小説はおもしろい。小説中に散りばめられた情報から、何を見つけ出していくか?葉山の分析は小説を読んでいる者も同様に行うことができるものです。その点でミステリー小説を読んでいるような感じがします。

 非常に長いですが、それだけ読み応えもあります。超オススメ!
 私は次の作品「スリー・アゲーツ」に挑戦します。

過去からの日記

昨夜の『世にも奇妙な物語』で放映された短編だったのですが、妙に心に残った作品でした。

ある日、古本屋で手に入れた日記帳。
そこには毎日のように「今日も何もなかった」という文字が綴られていた。
1つの小説を世に出したものの、その後は鳴かず飛ばずである主人公は、毎日を鬱屈した気持ちで過ごしていた。そこで、その日記に共感したともいえないのだろうが、翌日「僕も同じ」と書き込んでみた。
すると、そこに文字が浮かび上がってくるではないか。
「私の日記にいたずらするのは誰?」と。
それが2001年の世界を生きる少女と2004年の世界を生きる主人公との奇妙な交換日記の始まりだった。

少女は不治の病で2004年まではきっと生きられないと言われている。主人公はそんな彼女に生きる勇気を持たせようと、2004年9月20日にその病院の白いベンチで逢おうと持ちかける。
何を犠牲にしようとも、その時の主人公にとって、この彼女との約束が何よりも大切なものだった。
しかし、そこで知らされたのは悲しい事実。

日が暮れていく中、一人ベンチに腰掛け、主人公は優しい嘘を書く。・・泣きながら。
けれど、少女はそれが優しい嘘だということを察し、また涙する。

顔も知らない、そんな相手なのに、心から励まし、その相手のことを真剣に思いやっている姿は感動的でした。
涙が出つつも、心が温かくなる・・・そんな素敵な話でした。


世にも奇妙な物語にはこういうお話が時々ありますよね。それ以外にも今回の世にも奇妙な物語は秀作が多かったように思います。「不幸せをあなたに」「地獄は満員」など、考えさせられましたよ。
もちろん、怖い系もありましたが・・・。

終戦のローレライ

満を持して出された福井作品は上下巻総ページ数1000ページ強という超大作になりました。
前作や同じく戦争を扱った古処作品『ルール』を読んでいた時も思ったのですが、『戦争反対』という思いはこういう本を読めば誰でも持てるんじゃないでしょうか?そのぐらい戦争の持つ残酷さというものをあらゆる面から書き切っています。何のために戦い、何のために死ぬのか?
けれど、これらの作品ではその残酷さと同じくらい『人と人との絆っていいな』ということも感じることができます。17歳の上等工作兵の折笠征人の成長ぶり、そして日系3世でありながらもとある事情でナチスのSS将校となったフリッツ・エブナーの変容は圧巻です。(フリッツが好きだ~(T_T)でも、準主役扱いだからな・・・)

この話の主な舞台は1945年7月下旬から8月中旬までの日本です。厳密に言えばそれはちょっと違うのかもしれません。なんといっても主たる舞台は潜水艦なので。
この時期の日本・・・終戦に向けての最後の悲劇が起こった日本。
その中で「国を思う」―それぞれ表出した形はちがえども―人々の姿が描かれています。

ざっとあらすじ。

同盟国であったイタリアもドイツも降伏し、すでに日本には戦争を続けていくだけのいかなる力も残されていなかった。連合国から提示されたポツダム宣言―無条件降伏―を飲むことができず、条件付降伏という選択が軍部にとっては精一杯だった。
そんな中でひそかに進行していった計画。
『この国が迎えるべき終戦の形』のために、ある人物が求めたもの。
それが『ローレライ・システム』だった。

『 戦争。
 もはや原因も定かではなく、
 誰ひとり自信も確信も
 持てないまま、行われている戦争。 
 あらかじめ敗北という
 選択肢を持てなかった戦争。
 茶番と括るには、
 あまりにも重すぎる戦争。
 ―その潜水艦は、
 あてどない航海に出た。
 太平洋の魔女と恐れられた兵器
 “ローレライ”を求めて。
 「彼女」の歌声がもたらすものは、 
 破滅か、それとも―』


ローレライ・・・ドイツのライン川にいるという魔女の名をつけられた、このシステムは信じられない精度を持った海中の特殊探知兵器だが、それが生まれたのはやはりドイツ。いわばナチスドイツの狂気から偶然生み出された兵器であった。
それが『あるべき終戦の姿』のために使われる―この計画は恐るべきものだった。

『「国家の切腹を断行する」
 南方戦線で地獄を見た男の、
 血塗られた終戦工作。
 命がけで否と答えるべく、
 その潜水艦は行動を起こす。
 耐えてくれ、ローレライ。
 おれたち大人が始めたしょうもない
 戦争の痛みを全身で受け止めて、
 行く道を示してくれ。
 この世界の戦をあまねく
 鎮めるために。
 いつか、悲鳴の聞こえない海を
 取り戻すために―』


その計画のために集まられた人々が乗った潜水艦≪伊507≫。当然のことながら、軍令部の指揮下にはない、いわば≪幽霊潜水艦≫。そこに乗せられた乗員たちもそれぞれ様々な過去を背負っている。
最初は目的が分からず、ただ「ローレライシステム」の回収とだけ思っていた任務が、途中でとんでもないものに変化した時≪伊507≫は独自の道を歩み始めた。



戦争をするということは「敵を殺す」こと。極端に言ってしまえばそうでしょう。やらなければやられるのだから。フリッツも≪伊507≫に乗り込んだ当初は言っていました。「恐怖に勝つには、自らが恐怖になることしかない」と。人種差別の思いっきり激しかったドイツで、日系にも関わらずSS将校になったフリッツの経験はそう言って憚らないのもやむを得ないものだったのでしょう。

しかし、折笠征人は言います。

「あんたたち大人が始めたくだらない戦争で、これ以上人が死ぬのはまっぴらだ・・・・!」
「清永だって、艇長だって、逃げなかった。最後まで恥ずかしくなく生きようとして、それで死んでいったんだぞ!辛いことや悲しいことを我慢して、これでいいのかなんか考える暇もなくて、やれることをやって死ぬしかなかったんだぞ!それを無知だって見下げるのか!?そんなふうにしか生きられない大勢の人を殺して、国の将来のためだって言うのか!?冗談じゃない。そんな理由で清永を殺したのなら、俺はあなたを許さない。絶対に、絶対に許さないぞ・・・・・!」
「・・・・そうやって自分が信じられないから他人も信じられなくなる。自分が許せなくて、自分の命を大事に思えないから、他人の命も平気で奪えるようになるんだ。どんな目的があったとしても、そのために何十万人もの同胞を殺せるような人が、どうして国の将来を考えられると思うんです。そんな犠牲の上に立った未来に、どれだけの価値があるって言うんです。そんなことしたって、なくしたものが取り戻せるはずはないのに・・・・!」

この言葉はほんとに純粋な若者だからこそ言えた言葉なのでしょう。この潜水艦に乗っている他の者も、無線で交信している相手も、そんな気持ちを忘れて久しいものばかりだった。だったが、だからこそこの少年の言葉が胸の奥深いところに刺さったわけです。それはフリッツにも。

この話の中での秀逸の部分は『ローレライシステム』の致命的欠陥ではないかと思います。そういう部分を生み出したことで、相手を殺さず無力化する戦い方を選び取っていった≪伊507≫なのだから。

「私・・・征人に会ってから、忘れかけていたことをたくさん思い出すことができた。太陽の眩しさや温かさ、雲の形、空の色。おばあちゃんがつけてくれたアツコって名前。『白い家』に入れられてからは初めて・・・生きててよかったって思うことができた。」

戦争の悲劇は、『人が人として当然持つべき権利が失われる』ことにあると思います。
人間の三大欲も満たされない。自分が大切にしているもの・人をいとも簡単に奪う。そして、これが一番でしょう―個人としての生死さえ軽んじられる。
今、私たちが当たり前に甘受している平和。そんな中でも理不尽にこういう権利が奪われることがあります。そういう場面に直面した時の嘆きはいかばかりのものか。でも、同じなんですよね、戦争で落とした命も。遺されたものにとっては同じく大切な人のたった一つの命。なのに、戦争だからそう思えなくなるのはやっぱりおかしなことでしょう。

今、アメリカとイラクの間で戦争が起こるか否かという非常にきな臭い状況になっています。アメリカではそれこそ日本とは比較にならないほど反戦の運動が行われているだろうし、戦争の悲惨さを表現した映画や小説や歌がある。なのに、なぜなんだろう、同じことを繰り返そうとするのは。

作中のある人物も言います。

「いつになったら力の論理が鎮まり、目を背けるのでもなく、闇雲に反対するのでもなく、叡智をもって争いを抑止する術を人は学ぶのだろう。」
目を背けるのでもなく
闇雲に反対するのでもなく
叡智をもって争いを抑止する術

福井氏はイージスの中でも同じように言っていましたね。「嫌なものを見ないようにしていちゃダメだ。戦争反対と闇雲に言ってるだけじゃダメだ。辛い現実を見て、知って、備えて、その上で考えなくちゃ」と。

私たちができることは何か?ちっぽけな個人でも、またちっぽけな個人だからこそできること。
まずは、誰もが自分を大切にすること。これが相手を大切にすることにもつながるのだから。
そして、無関心でいないこと。物事の表面だけを見ないで、大切なことは何かをいつも考えて物事を見ること。
これがなかなかに難しいことは承知の上。でも、そういう小さなこと一つ一つをみんなが心がけていかない限り、叡智を持って争いを抑止することなんて永久に無理になるのではないかな。

ローレライは求めます―悲鳴の聞こえない海を。
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