「よく見ろ、日本人。これが戦争だ。」
帯に書かれたこの言葉にまずひいてしまう人もあることでしょう。しかし、ひいてしまう人にこそ読んでもらいたいと思える本です。
今も国会で「有事法制」のことが話題になっています。しかし、その話題について関心をもって聞いている人たちはどのくらいいるのでしょうか?実際のところ、自分自身これらの小説群に出会わなければ、ニュースで聞いても聞き流し、心に残っていかなかったに違いありませんー情けないことに。
だからといって今どれだけ変わったかといわれても、関心をもつようになったとしかいえないのですけど。
話を本題に戻します。

この本の舞台は自衛隊のミサイル護衛艦《いそかぜ》です。鉄壁の防空網をもつイージス艦にひけをとらないミニイージスシステムを搭載したこの護衛艦が、突如国家に牙を向いたら…。

話の本流は、この牙をむいた《いそかぜ》と政府の攻防です。そこに現れる様々な思惑、政治的駆け引きなどに『実際に今の日本でこのようなできごとが起こったら、きっとこういう対応になるのだろうな』というリアル感が感じられます。そして、思うはずです。「何やってんだよ」って。
けれど、この小説の最大の魅力はなんといっても登場する人々の生き様にあるといえるでしょう。
メインのキャラクターである彼らの心情にぐいぐい引き込まれていきます。
特に如月行!言わせてください。私は彼が大好きです!もうこういう人物に弱いったらないのでー。非常に苛酷な少年時代をすごした彼は、最悪の形で少年期の最後を迎えます。自らに課した「掟」にしたがって、全てをあきらめ、耐えることで何からも逃げずに生き抜くー10代前半にして、こんな気持ちで生きていくなんて痛すぎる。ーそして、青年となった彼はとある組織の工作員となって《いそかぜ》に搭乗する…。そこで出会うのが、先任伍長である仙石恒史です。仙石は優秀な兄との比較から逃げるようにして故郷を離れ、海上自衛隊に入隊し、そこに自分の居場所・生きがいを見つけた男です。しかし、50の声を聞いた時、妻から「あなたはどこでも先任伍長で、私が結婚した仙石恒史と言う人はどこにいるの?」という言葉とともに別居を言い出される。そして、迷いを抱えたまま《いそかぜ》に搭乗する…。
この二人は最終的にはたった二人で、内部からこの《いそかぜ》の反乱を押さえるべく戦うわけですが、そこにいたる軌跡、強まる絆には涙・涙です。行は仙石によって、人を信じることを、そして生きがいということを知った。そして仙石は失いかけていたものー自分自身を取り戻すことができた。
心情的には仙石に一番共感できます。この人はほんとにあったかい人で、だからこれまた行とはちがった意味で大好きです。そして最後の一人宮津弘隆。反乱した護衛艦《いそかぜ》の艦長です。父親も幹部自衛官。そして自分もそうなり、それを誇りに思い、ずっと勤め上げてきました。さらに息子も防衛大で優秀な成績を修め、宮津の後に続こうとしていた。そんな自衛隊に全てを捧げてきたような男が、なぜ《いそかぜ》を使って国家に牙を向いたのか?そこにはこの『息子の死』が大きく関わっています。宮津の息子が書いた論文-そこに最悪の生物化学兵器(これが前作のクライマックスで出てきたものなんですね)を沖縄米軍基地から盗みだした北朝鮮工作員が絡んできて、全ての歯車が回りだしたわけです。彼の行動は納得できるものではありません。しかし、一生懸命に尽くしてきたからこそ、国からの手ひどい仕打ちは許せなかったのでしょう。けれど、最後はやはり父親に帰り、《いそかぜ》の艦長に帰っていったのです。

この他にも魅力的なキャラクターが満載。だからこそ、最後まで息もつかせずに読ませてくれるのです。
650ページ2段組の手ごたえのありすぎる本ですが、はまり込んだら止められない。ラストまで一気に読み進めてしまうでしょう。そして、震えるような思いでこぼれる涙が止まらないでしょう。

タイトルの『亡国のイージス』。イージスというのはギリシャ神話に登場する、どんな攻撃もはね返す楯が語源になっています。そして、この『亡国の楯』というのが、宮津の息子隆史が書いた論文のタイトルなのです。彼はこのように書いています。(ちょっと長くなるけど、略しながら引用します)

『日米安保はあくまでも国連貢献の一環であることを明示して、片務ではない、両国の相互理解に基づいて運営されていることを互いに自覚しあうこと。それには、まず日本が自らの所信を表明し、ひとつの国家として一貫した主張とカラーを打ち出してゆかなければならない。今までそれを怠ってきた結果がアジアの誤解と誹謗を招き、誰からも、自分自身からも信用されないし、尊敬もされない体質を作り続けてきたのではないだろうか』
『重要なのは、国民一人一人が自分で考え、行動し、その結果については責任を持つこと。それを「潔い」とする価値観を、社会全体に敷衍させ、集団のカラーとして打ち出していった時、日本人は初めて己のありようを世界に示し得るのではないだろうか』
『誰も責任をとらない平和論や、理想論に基づいた合理的な経済理論では現在の閉塞を打ち破ることはできない。…現状では、イージス艦を始めとする自衛隊装備は防御する国家を失ってしまっている。亡国の楯だ。それは国民も、我々自身も望むものではない。必要なのは国防の楯であり、守るべき国の形そのものであるはずだ』

この文の中に、私のもっていた疑問の答えもあったような気がします。
そして、本当の平和とは?仙石が言っています。(また引用します。ところどころ略しています)

『甘ったれたことを言ってるんだって、わかってるよ。でもよ、撃たれる前に撃って、人が死んで、また殺し返して…。終わりがねえじゃねえか。(戦場では考えた者から順番に死んでいくという行に)…そうかもしれねえけど、おれは、それでも考えるのが人間だと思う。ためらうのが人間だと思う。そうでなきゃ、動物と変わんねえじゃねえか。考えて、悩んで、ためらって…その一瞬に殺されちまうのかもしれねえけど、そうすることで、もしかしたら戦争なんかやんねえでも済むようになるんじゃねえかって…そう思いたいんだ』
『おれだって、長いこと海自でミサイルを扱ってきたんだ。その威力は十分に分かっている。でもな、それはただのデータ…数字でわかってるだけだ。実戦でそれを使えばどういうことになるか…十人、百人の人が死ぬって重さを、本気で考えたことなんかありゃしない。日本って国では、それが当たり前なんだ。戦争の痛みを実感できる奴なんてひとりもいない。反対って唱えてりゃ、自分たちは安全だって思い込んでる。自分たちとは永遠に無縁な事柄だって、何の根拠もなく信じているんだ。そんなのは本当の平和じゃねえ。嫌なものを見ないようにしてるだけだ。そうじゃなくって、そういう辛い現実があるってことを認めて、ちゃんと備えて、その上で考えていかなきゃ…。生き残るためには戦う、でも一瞬でもいい、自分たちは撃つ前にはためらうんだって覚悟で、みんなが自分の身を引き締めていければ…その時、日本は本当の平和国家になれるのかもしれない。あの論文で、宮津隆史はそういうことを言いたかったじゃねえかって思うんだ。戦争が上手にやれたって、ひとつもいいことはねえんだから…』

愛国心という言葉すら、昔の軍国主義を思い出させるということで忌避されることもある日本。しかし、自分の住む国を誇りに思えない大人ばかりの国に育った子どもたちに、日本を誇りに思う心なんて育つわけがない。自分の国を大切にする思いーこれを忘れちゃいけないのではないでしょうか。国を大切にする思いは、そこに住む人を大切にする思いとイコールです。そして日本を守るのは、やはり日本人しかないのではないでしょうか?平和を望むのに「戦争をしなければいい」とだけの答えをしていてはいけないのでしょう。もっと考えなければー。では、私たちができるのは?その答えは上記の引用文に代表されるように、この小説の中にあるように思います。