満を持して出された福井作品は上下巻総ページ数1000ページ強という超大作になりました。
前作や同じく戦争を扱った古処作品『ルール』を読んでいた時も思ったのですが、『戦争反対』という思いはこういう本を読めば誰でも持てるんじゃないでしょうか?そのぐらい戦争の持つ残酷さというものをあらゆる面から書き切っています。何のために戦い、何のために死ぬのか?
けれど、これらの作品ではその残酷さと同じくらい『人と人との絆っていいな』ということも感じることができます。17歳の上等工作兵の折笠征人の成長ぶり、そして日系3世でありながらもとある事情でナチスのSS将校となったフリッツ・エブナーの変容は圧巻です。(フリッツが好きだ~(T_T)でも、準主役扱いだからな・・・)

この話の主な舞台は1945年7月下旬から8月中旬までの日本です。厳密に言えばそれはちょっと違うのかもしれません。なんといっても主たる舞台は潜水艦なので。
この時期の日本・・・終戦に向けての最後の悲劇が起こった日本。
その中で「国を思う」―それぞれ表出した形はちがえども―人々の姿が描かれています。

ざっとあらすじ。

同盟国であったイタリアもドイツも降伏し、すでに日本には戦争を続けていくだけのいかなる力も残されていなかった。連合国から提示されたポツダム宣言―無条件降伏―を飲むことができず、条件付降伏という選択が軍部にとっては精一杯だった。
そんな中でひそかに進行していった計画。
『この国が迎えるべき終戦の形』のために、ある人物が求めたもの。
それが『ローレライ・システム』だった。

『 戦争。
 もはや原因も定かではなく、
 誰ひとり自信も確信も
 持てないまま、行われている戦争。 
 あらかじめ敗北という
 選択肢を持てなかった戦争。
 茶番と括るには、
 あまりにも重すぎる戦争。
 ―その潜水艦は、
 あてどない航海に出た。
 太平洋の魔女と恐れられた兵器
 “ローレライ”を求めて。
 「彼女」の歌声がもたらすものは、 
 破滅か、それとも―』


ローレライ・・・ドイツのライン川にいるという魔女の名をつけられた、このシステムは信じられない精度を持った海中の特殊探知兵器だが、それが生まれたのはやはりドイツ。いわばナチスドイツの狂気から偶然生み出された兵器であった。
それが『あるべき終戦の姿』のために使われる―この計画は恐るべきものだった。

『「国家の切腹を断行する」
 南方戦線で地獄を見た男の、
 血塗られた終戦工作。
 命がけで否と答えるべく、
 その潜水艦は行動を起こす。
 耐えてくれ、ローレライ。
 おれたち大人が始めたしょうもない
 戦争の痛みを全身で受け止めて、
 行く道を示してくれ。
 この世界の戦をあまねく
 鎮めるために。
 いつか、悲鳴の聞こえない海を
 取り戻すために―』


その計画のために集まられた人々が乗った潜水艦≪伊507≫。当然のことながら、軍令部の指揮下にはない、いわば≪幽霊潜水艦≫。そこに乗せられた乗員たちもそれぞれ様々な過去を背負っている。
最初は目的が分からず、ただ「ローレライシステム」の回収とだけ思っていた任務が、途中でとんでもないものに変化した時≪伊507≫は独自の道を歩み始めた。



戦争をするということは「敵を殺す」こと。極端に言ってしまえばそうでしょう。やらなければやられるのだから。フリッツも≪伊507≫に乗り込んだ当初は言っていました。「恐怖に勝つには、自らが恐怖になることしかない」と。人種差別の思いっきり激しかったドイツで、日系にも関わらずSS将校になったフリッツの経験はそう言って憚らないのもやむを得ないものだったのでしょう。

しかし、折笠征人は言います。

「あんたたち大人が始めたくだらない戦争で、これ以上人が死ぬのはまっぴらだ・・・・!」
「清永だって、艇長だって、逃げなかった。最後まで恥ずかしくなく生きようとして、それで死んでいったんだぞ!辛いことや悲しいことを我慢して、これでいいのかなんか考える暇もなくて、やれることをやって死ぬしかなかったんだぞ!それを無知だって見下げるのか!?そんなふうにしか生きられない大勢の人を殺して、国の将来のためだって言うのか!?冗談じゃない。そんな理由で清永を殺したのなら、俺はあなたを許さない。絶対に、絶対に許さないぞ・・・・・!」
「・・・・そうやって自分が信じられないから他人も信じられなくなる。自分が許せなくて、自分の命を大事に思えないから、他人の命も平気で奪えるようになるんだ。どんな目的があったとしても、そのために何十万人もの同胞を殺せるような人が、どうして国の将来を考えられると思うんです。そんな犠牲の上に立った未来に、どれだけの価値があるって言うんです。そんなことしたって、なくしたものが取り戻せるはずはないのに・・・・!」

この言葉はほんとに純粋な若者だからこそ言えた言葉なのでしょう。この潜水艦に乗っている他の者も、無線で交信している相手も、そんな気持ちを忘れて久しいものばかりだった。だったが、だからこそこの少年の言葉が胸の奥深いところに刺さったわけです。それはフリッツにも。

この話の中での秀逸の部分は『ローレライシステム』の致命的欠陥ではないかと思います。そういう部分を生み出したことで、相手を殺さず無力化する戦い方を選び取っていった≪伊507≫なのだから。

「私・・・征人に会ってから、忘れかけていたことをたくさん思い出すことができた。太陽の眩しさや温かさ、雲の形、空の色。おばあちゃんがつけてくれたアツコって名前。『白い家』に入れられてからは初めて・・・生きててよかったって思うことができた。」

戦争の悲劇は、『人が人として当然持つべき権利が失われる』ことにあると思います。
人間の三大欲も満たされない。自分が大切にしているもの・人をいとも簡単に奪う。そして、これが一番でしょう―個人としての生死さえ軽んじられる。
今、私たちが当たり前に甘受している平和。そんな中でも理不尽にこういう権利が奪われることがあります。そういう場面に直面した時の嘆きはいかばかりのものか。でも、同じなんですよね、戦争で落とした命も。遺されたものにとっては同じく大切な人のたった一つの命。なのに、戦争だからそう思えなくなるのはやっぱりおかしなことでしょう。

今、アメリカとイラクの間で戦争が起こるか否かという非常にきな臭い状況になっています。アメリカではそれこそ日本とは比較にならないほど反戦の運動が行われているだろうし、戦争の悲惨さを表現した映画や小説や歌がある。なのに、なぜなんだろう、同じことを繰り返そうとするのは。

作中のある人物も言います。

「いつになったら力の論理が鎮まり、目を背けるのでもなく、闇雲に反対するのでもなく、叡智をもって争いを抑止する術を人は学ぶのだろう。」
目を背けるのでもなく
闇雲に反対するのでもなく
叡智をもって争いを抑止する術

福井氏はイージスの中でも同じように言っていましたね。「嫌なものを見ないようにしていちゃダメだ。戦争反対と闇雲に言ってるだけじゃダメだ。辛い現実を見て、知って、備えて、その上で考えなくちゃ」と。

私たちができることは何か?ちっぽけな個人でも、またちっぽけな個人だからこそできること。
まずは、誰もが自分を大切にすること。これが相手を大切にすることにもつながるのだから。
そして、無関心でいないこと。物事の表面だけを見ないで、大切なことは何かをいつも考えて物事を見ること。
これがなかなかに難しいことは承知の上。でも、そういう小さなこと一つ一つをみんなが心がけていかない限り、叡智を持って争いを抑止することなんて永久に無理になるのではないかな。

ローレライは求めます―悲鳴の聞こえない海を。