SHIKA☆TALK

管理人SHIKAによる読書記録&テレビ・映画の鑑賞記録です。

福井晴敏

予告

亡国のイージスの予告最新バージョンがオフィシャルサイトで紹介されているけど、これはいいですね。「見たいぞ」感がものすごく高まります。

昨日、戦国自衛隊1549を見てきたけど、正直う~~んという感じです。
一部の人間の思惑だけで、大多数の幸せが奪われてたまるか、とか
未来を作るのは、今生きている一人ひとりの責任である、とか
福井メッセージをあちこちから受け取ることができるのですが・・・どうにも基盤がしっかりしてないんで弱いって感じがします。

ということで、福井さんの最高傑作である『亡国のイージス』でその消化不良部分をどのくらい解消してもらえるか、楽しみにしています。

ローレライ世界へ

ローレライ世界へ

ローレライの評判がいいとは聞いていましたが、こういう状況だとは知りませんでした。
興行収入が潜水艦映画としてはNO.1になったとか
公開延長になったとか
世界で公開されるとか

そういうニュースを聞くと、純粋にファンとして嬉しいですね。
いろいろ『こうだとよかったなぁ」と思ったことがあるのも、やはり原作に思い入れがあるゆえであって、この映画そのものの持つ魅力というものを否定するものではありません。

さて、もう1回ぐらい見てみるかなぁ。
・・・時間がないのがきついですが(><)

>深森さん
ここでレス失礼いたします。
映画を見られたのですね。ホントにあの短い時間の中で、あれだけの内容をきちんと盛り込めたのはすごいことですね。
若者への焦点がちょっと甘くなった分、艦長(とその周り)の描き方が原作以上だったと思います。私の友人(原作は全く読んでない)はこの艦長にすっかりやられていました。
あのアメリカ兵の扱いや作家の扱い・・・確かにその通りですね。
でも、こうやって現在につながっているのだということをやはりどうしても描きたかったのでしょうね。

終戦のローレライ

満を持して出された福井作品は上下巻総ページ数1000ページ強という超大作になりました。
前作や同じく戦争を扱った古処作品『ルール』を読んでいた時も思ったのですが、『戦争反対』という思いはこういう本を読めば誰でも持てるんじゃないでしょうか?そのぐらい戦争の持つ残酷さというものをあらゆる面から書き切っています。何のために戦い、何のために死ぬのか?
けれど、これらの作品ではその残酷さと同じくらい『人と人との絆っていいな』ということも感じることができます。17歳の上等工作兵の折笠征人の成長ぶり、そして日系3世でありながらもとある事情でナチスのSS将校となったフリッツ・エブナーの変容は圧巻です。(フリッツが好きだ~(T_T)でも、準主役扱いだからな・・・)

この話の主な舞台は1945年7月下旬から8月中旬までの日本です。厳密に言えばそれはちょっと違うのかもしれません。なんといっても主たる舞台は潜水艦なので。
この時期の日本・・・終戦に向けての最後の悲劇が起こった日本。
その中で「国を思う」―それぞれ表出した形はちがえども―人々の姿が描かれています。

ざっとあらすじ。

同盟国であったイタリアもドイツも降伏し、すでに日本には戦争を続けていくだけのいかなる力も残されていなかった。連合国から提示されたポツダム宣言―無条件降伏―を飲むことができず、条件付降伏という選択が軍部にとっては精一杯だった。
そんな中でひそかに進行していった計画。
『この国が迎えるべき終戦の形』のために、ある人物が求めたもの。
それが『ローレライ・システム』だった。

『 戦争。
 もはや原因も定かではなく、
 誰ひとり自信も確信も
 持てないまま、行われている戦争。 
 あらかじめ敗北という
 選択肢を持てなかった戦争。
 茶番と括るには、
 あまりにも重すぎる戦争。
 ―その潜水艦は、
 あてどない航海に出た。
 太平洋の魔女と恐れられた兵器
 “ローレライ”を求めて。
 「彼女」の歌声がもたらすものは、 
 破滅か、それとも―』


ローレライ・・・ドイツのライン川にいるという魔女の名をつけられた、このシステムは信じられない精度を持った海中の特殊探知兵器だが、それが生まれたのはやはりドイツ。いわばナチスドイツの狂気から偶然生み出された兵器であった。
それが『あるべき終戦の姿』のために使われる―この計画は恐るべきものだった。

『「国家の切腹を断行する」
 南方戦線で地獄を見た男の、
 血塗られた終戦工作。
 命がけで否と答えるべく、
 その潜水艦は行動を起こす。
 耐えてくれ、ローレライ。
 おれたち大人が始めたしょうもない
 戦争の痛みを全身で受け止めて、
 行く道を示してくれ。
 この世界の戦をあまねく
 鎮めるために。
 いつか、悲鳴の聞こえない海を
 取り戻すために―』


その計画のために集まられた人々が乗った潜水艦≪伊507≫。当然のことながら、軍令部の指揮下にはない、いわば≪幽霊潜水艦≫。そこに乗せられた乗員たちもそれぞれ様々な過去を背負っている。
最初は目的が分からず、ただ「ローレライシステム」の回収とだけ思っていた任務が、途中でとんでもないものに変化した時≪伊507≫は独自の道を歩み始めた。



戦争をするということは「敵を殺す」こと。極端に言ってしまえばそうでしょう。やらなければやられるのだから。フリッツも≪伊507≫に乗り込んだ当初は言っていました。「恐怖に勝つには、自らが恐怖になることしかない」と。人種差別の思いっきり激しかったドイツで、日系にも関わらずSS将校になったフリッツの経験はそう言って憚らないのもやむを得ないものだったのでしょう。

しかし、折笠征人は言います。

「あんたたち大人が始めたくだらない戦争で、これ以上人が死ぬのはまっぴらだ・・・・!」
「清永だって、艇長だって、逃げなかった。最後まで恥ずかしくなく生きようとして、それで死んでいったんだぞ!辛いことや悲しいことを我慢して、これでいいのかなんか考える暇もなくて、やれることをやって死ぬしかなかったんだぞ!それを無知だって見下げるのか!?そんなふうにしか生きられない大勢の人を殺して、国の将来のためだって言うのか!?冗談じゃない。そんな理由で清永を殺したのなら、俺はあなたを許さない。絶対に、絶対に許さないぞ・・・・・!」
「・・・・そうやって自分が信じられないから他人も信じられなくなる。自分が許せなくて、自分の命を大事に思えないから、他人の命も平気で奪えるようになるんだ。どんな目的があったとしても、そのために何十万人もの同胞を殺せるような人が、どうして国の将来を考えられると思うんです。そんな犠牲の上に立った未来に、どれだけの価値があるって言うんです。そんなことしたって、なくしたものが取り戻せるはずはないのに・・・・!」

この言葉はほんとに純粋な若者だからこそ言えた言葉なのでしょう。この潜水艦に乗っている他の者も、無線で交信している相手も、そんな気持ちを忘れて久しいものばかりだった。だったが、だからこそこの少年の言葉が胸の奥深いところに刺さったわけです。それはフリッツにも。

この話の中での秀逸の部分は『ローレライシステム』の致命的欠陥ではないかと思います。そういう部分を生み出したことで、相手を殺さず無力化する戦い方を選び取っていった≪伊507≫なのだから。

「私・・・征人に会ってから、忘れかけていたことをたくさん思い出すことができた。太陽の眩しさや温かさ、雲の形、空の色。おばあちゃんがつけてくれたアツコって名前。『白い家』に入れられてからは初めて・・・生きててよかったって思うことができた。」

戦争の悲劇は、『人が人として当然持つべき権利が失われる』ことにあると思います。
人間の三大欲も満たされない。自分が大切にしているもの・人をいとも簡単に奪う。そして、これが一番でしょう―個人としての生死さえ軽んじられる。
今、私たちが当たり前に甘受している平和。そんな中でも理不尽にこういう権利が奪われることがあります。そういう場面に直面した時の嘆きはいかばかりのものか。でも、同じなんですよね、戦争で落とした命も。遺されたものにとっては同じく大切な人のたった一つの命。なのに、戦争だからそう思えなくなるのはやっぱりおかしなことでしょう。

今、アメリカとイラクの間で戦争が起こるか否かという非常にきな臭い状況になっています。アメリカではそれこそ日本とは比較にならないほど反戦の運動が行われているだろうし、戦争の悲惨さを表現した映画や小説や歌がある。なのに、なぜなんだろう、同じことを繰り返そうとするのは。

作中のある人物も言います。

「いつになったら力の論理が鎮まり、目を背けるのでもなく、闇雲に反対するのでもなく、叡智をもって争いを抑止する術を人は学ぶのだろう。」
目を背けるのでもなく
闇雲に反対するのでもなく
叡智をもって争いを抑止する術

福井氏はイージスの中でも同じように言っていましたね。「嫌なものを見ないようにしていちゃダメだ。戦争反対と闇雲に言ってるだけじゃダメだ。辛い現実を見て、知って、備えて、その上で考えなくちゃ」と。

私たちができることは何か?ちっぽけな個人でも、またちっぽけな個人だからこそできること。
まずは、誰もが自分を大切にすること。これが相手を大切にすることにもつながるのだから。
そして、無関心でいないこと。物事の表面だけを見ないで、大切なことは何かをいつも考えて物事を見ること。
これがなかなかに難しいことは承知の上。でも、そういう小さなこと一つ一つをみんなが心がけていかない限り、叡智を持って争いを抑止することなんて永久に無理になるのではないかな。

ローレライは求めます―悲鳴の聞こえない海を。

亡国のイージス

「よく見ろ、日本人。これが戦争だ。」
帯に書かれたこの言葉にまずひいてしまう人もあることでしょう。しかし、ひいてしまう人にこそ読んでもらいたいと思える本です。
今も国会で「有事法制」のことが話題になっています。しかし、その話題について関心をもって聞いている人たちはどのくらいいるのでしょうか?実際のところ、自分自身これらの小説群に出会わなければ、ニュースで聞いても聞き流し、心に残っていかなかったに違いありませんー情けないことに。
だからといって今どれだけ変わったかといわれても、関心をもつようになったとしかいえないのですけど。
話を本題に戻します。

この本の舞台は自衛隊のミサイル護衛艦《いそかぜ》です。鉄壁の防空網をもつイージス艦にひけをとらないミニイージスシステムを搭載したこの護衛艦が、突如国家に牙を向いたら…。

話の本流は、この牙をむいた《いそかぜ》と政府の攻防です。そこに現れる様々な思惑、政治的駆け引きなどに『実際に今の日本でこのようなできごとが起こったら、きっとこういう対応になるのだろうな』というリアル感が感じられます。そして、思うはずです。「何やってんだよ」って。
けれど、この小説の最大の魅力はなんといっても登場する人々の生き様にあるといえるでしょう。
メインのキャラクターである彼らの心情にぐいぐい引き込まれていきます。
特に如月行!言わせてください。私は彼が大好きです!もうこういう人物に弱いったらないのでー。非常に苛酷な少年時代をすごした彼は、最悪の形で少年期の最後を迎えます。自らに課した「掟」にしたがって、全てをあきらめ、耐えることで何からも逃げずに生き抜くー10代前半にして、こんな気持ちで生きていくなんて痛すぎる。ーそして、青年となった彼はとある組織の工作員となって《いそかぜ》に搭乗する…。そこで出会うのが、先任伍長である仙石恒史です。仙石は優秀な兄との比較から逃げるようにして故郷を離れ、海上自衛隊に入隊し、そこに自分の居場所・生きがいを見つけた男です。しかし、50の声を聞いた時、妻から「あなたはどこでも先任伍長で、私が結婚した仙石恒史と言う人はどこにいるの?」という言葉とともに別居を言い出される。そして、迷いを抱えたまま《いそかぜ》に搭乗する…。
この二人は最終的にはたった二人で、内部からこの《いそかぜ》の反乱を押さえるべく戦うわけですが、そこにいたる軌跡、強まる絆には涙・涙です。行は仙石によって、人を信じることを、そして生きがいということを知った。そして仙石は失いかけていたものー自分自身を取り戻すことができた。
心情的には仙石に一番共感できます。この人はほんとにあったかい人で、だからこれまた行とはちがった意味で大好きです。そして最後の一人宮津弘隆。反乱した護衛艦《いそかぜ》の艦長です。父親も幹部自衛官。そして自分もそうなり、それを誇りに思い、ずっと勤め上げてきました。さらに息子も防衛大で優秀な成績を修め、宮津の後に続こうとしていた。そんな自衛隊に全てを捧げてきたような男が、なぜ《いそかぜ》を使って国家に牙を向いたのか?そこにはこの『息子の死』が大きく関わっています。宮津の息子が書いた論文-そこに最悪の生物化学兵器(これが前作のクライマックスで出てきたものなんですね)を沖縄米軍基地から盗みだした北朝鮮工作員が絡んできて、全ての歯車が回りだしたわけです。彼の行動は納得できるものではありません。しかし、一生懸命に尽くしてきたからこそ、国からの手ひどい仕打ちは許せなかったのでしょう。けれど、最後はやはり父親に帰り、《いそかぜ》の艦長に帰っていったのです。

この他にも魅力的なキャラクターが満載。だからこそ、最後まで息もつかせずに読ませてくれるのです。
650ページ2段組の手ごたえのありすぎる本ですが、はまり込んだら止められない。ラストまで一気に読み進めてしまうでしょう。そして、震えるような思いでこぼれる涙が止まらないでしょう。

タイトルの『亡国のイージス』。イージスというのはギリシャ神話に登場する、どんな攻撃もはね返す楯が語源になっています。そして、この『亡国の楯』というのが、宮津の息子隆史が書いた論文のタイトルなのです。彼はこのように書いています。(ちょっと長くなるけど、略しながら引用します)

『日米安保はあくまでも国連貢献の一環であることを明示して、片務ではない、両国の相互理解に基づいて運営されていることを互いに自覚しあうこと。それには、まず日本が自らの所信を表明し、ひとつの国家として一貫した主張とカラーを打ち出してゆかなければならない。今までそれを怠ってきた結果がアジアの誤解と誹謗を招き、誰からも、自分自身からも信用されないし、尊敬もされない体質を作り続けてきたのではないだろうか』
『重要なのは、国民一人一人が自分で考え、行動し、その結果については責任を持つこと。それを「潔い」とする価値観を、社会全体に敷衍させ、集団のカラーとして打ち出していった時、日本人は初めて己のありようを世界に示し得るのではないだろうか』
『誰も責任をとらない平和論や、理想論に基づいた合理的な経済理論では現在の閉塞を打ち破ることはできない。…現状では、イージス艦を始めとする自衛隊装備は防御する国家を失ってしまっている。亡国の楯だ。それは国民も、我々自身も望むものではない。必要なのは国防の楯であり、守るべき国の形そのものであるはずだ』

この文の中に、私のもっていた疑問の答えもあったような気がします。
そして、本当の平和とは?仙石が言っています。(また引用します。ところどころ略しています)

『甘ったれたことを言ってるんだって、わかってるよ。でもよ、撃たれる前に撃って、人が死んで、また殺し返して…。終わりがねえじゃねえか。(戦場では考えた者から順番に死んでいくという行に)…そうかもしれねえけど、おれは、それでも考えるのが人間だと思う。ためらうのが人間だと思う。そうでなきゃ、動物と変わんねえじゃねえか。考えて、悩んで、ためらって…その一瞬に殺されちまうのかもしれねえけど、そうすることで、もしかしたら戦争なんかやんねえでも済むようになるんじゃねえかって…そう思いたいんだ』
『おれだって、長いこと海自でミサイルを扱ってきたんだ。その威力は十分に分かっている。でもな、それはただのデータ…数字でわかってるだけだ。実戦でそれを使えばどういうことになるか…十人、百人の人が死ぬって重さを、本気で考えたことなんかありゃしない。日本って国では、それが当たり前なんだ。戦争の痛みを実感できる奴なんてひとりもいない。反対って唱えてりゃ、自分たちは安全だって思い込んでる。自分たちとは永遠に無縁な事柄だって、何の根拠もなく信じているんだ。そんなのは本当の平和じゃねえ。嫌なものを見ないようにしてるだけだ。そうじゃなくって、そういう辛い現実があるってことを認めて、ちゃんと備えて、その上で考えていかなきゃ…。生き残るためには戦う、でも一瞬でもいい、自分たちは撃つ前にはためらうんだって覚悟で、みんなが自分の身を引き締めていければ…その時、日本は本当の平和国家になれるのかもしれない。あの論文で、宮津隆史はそういうことを言いたかったじゃねえかって思うんだ。戦争が上手にやれたって、ひとつもいいことはねえんだから…』

愛国心という言葉すら、昔の軍国主義を思い出させるということで忌避されることもある日本。しかし、自分の住む国を誇りに思えない大人ばかりの国に育った子どもたちに、日本を誇りに思う心なんて育つわけがない。自分の国を大切にする思いーこれを忘れちゃいけないのではないでしょうか。国を大切にする思いは、そこに住む人を大切にする思いとイコールです。そして日本を守るのは、やはり日本人しかないのではないでしょうか?平和を望むのに「戦争をしなければいい」とだけの答えをしていてはいけないのでしょう。もっと考えなければー。では、私たちができるのは?その答えは上記の引用文に代表されるように、この小説の中にあるように思います。

Twelve.Y.O.

第44回江戸川乱歩賞受賞作品です。

主人公は電子テロリスト「12」。彼は何を思ってアメリカ国防総省・在日米軍に戦いを挑んだのか?
直接的な攻撃は個人VS国家機関では不可能。しかし、あらゆる部分がコンピュータで操作されている現在。そこに入り込んで、システムを破壊してしまったら?
「12」が行ったこの攻撃は確実に相手に打撃を与え、結局、沖縄海兵隊の撤退が決定された。
しかし、「12」の真の目的はさらに別のところにあったのである。

「12」と彼のもとで人間兵器として活躍する少女。そして彼らを追うダイス。
登場人物が生き生きと、しかし切なく描かれています。これを続けていっても、待っているのは決して明るい未来じゃないのに、なぜ彼らはその道を選ぶか?そんな思いを何度もさせられます。
クライマックスの仕掛けにはちょっと度肝を抜かれました。そこまでするか?って感じです。

圧倒的なスケールで書かれ、話の中にぐいぐい引き込まれていきます。
けれど、ちょっと切ない。ラストで見えた希望が救いかな。

この作者はこの後「亡国のイージス」で3部門の賞を受賞しました。ぜひ次はそれに挑戦したいです。
まだ手をつけていないのでー。ちょっと覚悟がいる厚さなんですもの。
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